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認定証

認定を獲得すると喜ばしき事。それは、自分がどこかのだれかではなく、今この自分であるという自覚を他者からも認められたという達成感に似た安堵。

認定を獲得すると疎ましき事。それは、何か問題が起きた場合、その認定さえなければ、特別な責任が発生しなかったかもしれないという言い訳をしてしまう恐れ。

先週、体についての認定を受けて、気が楽になった。何年も懸念していたことが事実となり、それが確かに私のもので、他人に堂々と(かどうかはわからぬが)宣言しても恥じるべきものではないと確信できた。

一方、それまで、不可解なまま放置することのできた、あちこちの不具合が、すべてその認定による派生に違いないと決めつけてしまうようになったのは、なかなか気が重い。

今朝、通勤の駅を降りた途端に右肩から背中が痛みだす。今まで、似たようなことは何度もあった。

時間が経つにつれて、イワコがチクチクしだした。これもこの5,6年の間に何度もあった。

それらにいちいち、「認定」の影が見え隠れする。その「認定」のせいで、いま、この痛みがあるような気がしてしまう。それが事実か否かは別にして(そもそも確定など私にできる由もなし)。

ある程度は当たっているんだろう。自分の体だし、その変化は自分が一番わかるはずだし。でも、ことさらに、気にする必要のないこともあるかもしれない。ただの老化の一環かもしれないし。

認めることは、ありがたくもあり、面倒でもある。言い訳にできるけれど、必要以上に原因だと思い込んでしまうのは、よろしくない。

でも、まあ。

実際、ひと月前の私と、今の私では、知識と認識が違うのだから仕方がないね。

なるべく平らかに気持ちをもって、ムキにならず、客観的に、でも、見落とすことのないように過ごすしかあるまい。

昨日、ある疑念を持ったせい(それはまた改めて記そう)で、今日は少し気持ちが不安定。

誰の何の言葉をあてにするか、あるいは、これまでどおり、ひとり身勝手に判断するか、どちらかを選ぶとしたら、後者にする。基本、私は他者を信じたくない。だって、自分で決めたいもの。誰かの所為にするなんて嫌だもん♪

今日もバイトをありがとう。明日バイトのないのが少し寂しいね。その分本業を頑張らないとね。できることをできる限りちゃちゃっと、やらなくちゃ。

それでは皆様、おやすみなさいませ<m(__)m>