東 京 往 来

結果オーライ、イッツオーライ、東京all right♪→.hateblo.jp/へ

20年

20年前の今日、私の人生が一度終わった(と感じた)。そしてそれからずっと、暗い気持ちと卑屈な感情で、やけくそな日々と時間を重ねてきた。

もう、この生活を止めようかと思ったせいか、また、いつものようにそれを咎めるか、または戒めるかのように、昨夜、地震が起こった。

許されないのか。まだ、ここから出ることを許されていないのか。

それほど、私は罪深いか。

どうしたいのかは、わかっているつもり。

でも、どうすべきなのか、決められずに、また明日は月曜日。

人生の完結

死は完成

一所懸命

死に顔がなんとなく穏やかに見えたから

そばにいてそれを認めた人の力を感じる

人はひとりで生きて一人で死ぬ

でも

ほんとうは、一人で生きていると決まっているわけではなく、ひとりで死ぬと決まっているわけでもない

畳の上で死ぬということのありがたさと、その言葉の意味を思う

ウェブログ

不特定多数の人に公開しておきながら、身近な人、家族に打ち明けぬのはなぜか

いま、テレビの番組で、家族のコロナの話題をSNSに上げる人々の気持ちは、身近な人に打ち明けづらいから、というようなことを言っていた

そうなのかな

悲しい気持ち、つらい気持ちを、身近な家族に言うことをためらうのは、同じつらさや、同じような悲しみを伝染させたくないからなのか

でも、ともだちだって、同じように悲しんだり、つらかったりするかもしれないのに

そうかもしれない

でも、それ以上にもっと、救いを求めているからだというような気がする

孤独でない人には余裕があるような気がして、勝手に打ち明けるのだろう

自分がいなくなったら孤独になってしまうかもしれないと勝手に決めている相手に、打ち明けるのが怖いのだろう

誰が哀しみ、誰が苦しむのか、自分勝手に決めているだけだ

私がいなくなっても生活を続けて行かれるだろうと思う相手に

私がいなくなることを勝手に予告しているだけ

もしも、それがが間違いだったとしても許してください

私の愚かさを許してください

いいえ。

許してくれなくてもいいので、私を忘れてください

私がいなくなったあとに、あなたの生活に私は必要がない存在となりたいから

それが最大の願い

叶うかどうか、叶えてもらえるかどうかは問わない

同時代性

私は知っている

その人の生きた時間を

私はそばにいた

その人の生きた時代に

地球がどれほど大きく

隣がどれほど遠くても

同じ大気の空気を吸っていた

だから同じ記憶のため息をついていた

一緒に年を取った

別々の場所でも

同じ地球で

同じ時代に息をして

一緒に老成した

そばにいてくれた人たち

ありがとう

感謝します

すこし

大分

疲れました

何もする気が起きず

何もできる気がしない

謝罪します

ごめんなさい

いつも助けてくれたのに

こんな私で申し訳ないです

どうにかなる

どうにかなる

どうにかせねばと思いながら20年過ごしてきた

それが今朝、わずかにつながっていた糸の切断

雨や雪を防ぐために着ていた肩章が切れてしまった

出勤の支度をしたのに、急に、駅まで歩けない気がして、会社を休んだ

今までなら、休むと電話をすることが面倒で、這うようにして出勤していたのに

今日は迷わず、というか、衝動的にというか、電話をし、欠勤を告げた

そして、日がな一日、寝たり起きたりして、何もせず過ごした

もう、どうにかしようという気持ちがなくなりそう

あとは、ただ、どうにかなると、他人頼みで生きていくのか

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