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不特定多数の人に公開しておきながら、身近な人、家族に打ち明けぬのはなぜか
いま、テレビの番組で、家族のコロナの話題をSNSに上げる人々の気持ちは、身近な人に打ち明けづらいから、というようなことを言っていた
そうなのかな
悲しい気持ち、つらい気持ちを、身近な家族に言うことをためらうのは、同じつらさや、同じような悲しみを伝染させたくないからなのか
でも、ともだちだって、同じように悲しんだり、つらかったりするかもしれないのに
そうかもしれない
でも、それ以上にもっと、救いを求めているからだというような気がする
孤独でない人には余裕があるような気がして、勝手に打ち明けるのだろう
自分がいなくなったら孤独になってしまうかもしれないと勝手に決めている相手に、打ち明けるのが怖いのだろう
誰が哀しみ、誰が苦しむのか、自分勝手に決めているだけだ
私がいなくなっても生活を続けて行かれるだろうと思う相手に
私がいなくなることを勝手に予告しているだけ
もしも、それがが間違いだったとしても許してください
私の愚かさを許してください
いいえ。
許してくれなくてもいいので、私を忘れてください
私がいなくなったあとに、あなたの生活に私は必要がない存在となりたいから
それが最大の願い
叶うかどうか、叶えてもらえるかどうかは問わない
どうにかなる
どうにかなる
どうにかせねばと思いながら20年過ごしてきた
それが今朝、わずかにつながっていた糸の切断
雨や雪を防ぐために着ていた肩章が切れてしまった
出勤の支度をしたのに、急に、駅まで歩けない気がして、会社を休んだ
今までなら、休むと電話をすることが面倒で、這うようにして出勤していたのに
今日は迷わず、というか、衝動的にというか、電話をし、欠勤を告げた
そして、日がな一日、寝たり起きたりして、何もせず過ごした
もう、どうにかしようという気持ちがなくなりそう
あとは、ただ、どうにかなると、他人頼みで生きていくのか