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暑さの表現

今朝、テレビを見ていて、気象情報を伝える担当者が言った一言にまたひっかかる。

「ナメクジに塩をかけたように、溶けてしまいそうな暑さです」というような内容のことを言った。

( ‥) ン?、ナメクジに塩をかけると、水分が抜けて、ちっちゃくなるだけで、溶けてなくなることはないのでは??

と、幼いころの記憶を引き出して、不審に思う。

気象情報通知担当者の発言と私の記憶と、どちらが正しいかを決したいのではない。

いつのころからか、「溶けてしまいそうな暑さ」という言葉が当たり前になってきた。

私の身になじんでいるのは、「暑さで干上がる」、「干上がってしまいそうな暑さ」というものだ。

50年ほど前の地面は、土であることが当たり前だった。冬の寒い朝には、地中の水分が凍って、霜柱となり、土の表面を屋根のように持ち上げたりしていた。

同様に、夏の暑い日が続いたときには、地面の表面が固く乾き、ひび割れ、割れたそれぞれの部分のヘリが反り返るという状態が見られた。

それから、アスファルトで舗装された道路が増えたけれど、最初のころは、暑い日には、アスファルトが熱で軟化し、足で踏むとへこんだりした。場所によっては、コールタールのような、黒いものが溶けて靴にくっつくような状態になっているところもあった。

その景色が当たり前になって、「溶けそうに暑い」、「暑くて溶けそうになる」という表現が一般化したのかと、勝手に考え納得するに至る。

時代が変わり、文化が変わり、状況が変われば、すなわち、表現もそれに沿って変わっていく。

だから、変わらない表現が次々と、時代をつないでいく、ということが好きだな。