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昼の長電話

今日は、昼を食べそこなった。

数か月前から、会社の同僚と昼頃に電話で話をするようになったのは、社長の老いを気にして、それゆえ会社の存続について、後継者をどうするとか、そんな話をするためだ。

最初は数分から、十数分程度だったが、だんだんと長話をするようになり、次第に、そうして、展望や計画や、また愚痴を語り合うことで、仕事の行き詰まりや、憤懣を解消したりするようになった気がする。今まで特に親しかったわけではないので、個人的な互いに知らぬことも話したりするようになった。

それが高じて、今日はとうとう昼休み全てを長電話に費やしてしまったせいで、昼食抜きになった。

改めて感じた。人と話をするということは、自分の考えを確かめることができる行為だ。一人で思いつめて(それほどでないとしても)いると、他の考えに気が向きにくい。でも、会話をして、その自分の声を聴きつつ、相手の話も聞いていると、それまで自分だけで考えていたことだけが、物事の全てではないと気づかせてくれる。

すると、気持ちに少し余裕が生まれ、腹が立ってばかりだったことも、改善の余地があるように思えてくる。

会社は経営者のものだろうけれど、そこに勤める人たちに必要な場所でもある。

ある日突然、職を失したりしないように、変化の必要が生まれたら、少しずつ、最善の道を選んでいかなければならないと思う。

いつ、眦を決すか。もう、猶予はそれほどない気がする。誰かに、助けを求める前に、できる限り、自分たちで道を探るべきだと思う。そして、最後の告白をする必要が私には、ある。