東 京 往 来

結果オーライ、イッツオーライ、東京all right♪→.hateblo.jp/へ

明日は休み

あれこれ、将来に希望を見出そうとしてみたけれど、

ただの身勝手だという気持ちも否めないまま過ごしたこの2か月は長く感じた

やりたいことは、いくつかあることはあるけれど、

できるかもしれないことは、限られている

必ずせねばならぬことをまず片づけて、もし、そのあと許されるなら、したいことに手をつけてみようか

そんな日が来るといいな

明日はバイトも休み

洗濯とか、しなくちゃな

最後に

父が死んだと聞いたのは、入院中の父のもとへ向かう朝の江ノ電の中だった

車中で涙を流すことはなく、実家へ戻った

母が死んだと知ったのは、バイトが終わって、スマホを見たときだった

泣くことはなく、ただ、帰る場所が無くなったと知った

もし、順番通りに事が運ぶなら、

次は姉の死を知らさせる(はずと信じたい)

その日はずっと先と願うけれど、

もし、その日が来たら、その時は、泣かずにいられないだろうと思いたい

誰も私を許す人はいなくなり

誰も許しを乞う相手もいなくなる

そして、積み重ねた不孝を贖うことができなくなる

申し訳なさと不甲斐ない自分が情けなくきっと泣くだろう

姉を泣かせたくないから、頑張って、できるだけ頑張って、最後に死にたい

そして、我が家は潰える

江戸っ子のやせ我慢

私は江戸っ子ではない。

ともいえない。

母が「ひ」と「し」の区別のない発音をする人だったから。

江戸っ子ではないけど(母は江戸弁使いだった)、痩せてもいないけど、負けじ魂で、負けを認めない。

甥が話したこと。葬儀の日、その人が流したのは本当の涙だったと思う、と。

何が本当で、何が偽りか、どうやって確かめるすべがあるのかわからぬけれど、その話を聞いたとき、不覚にも涙腺が緩みそうになって、慌てて別のことを考えるように努めた。

朝起きると、おはようとメールをし、夜帰ると、ただいま、今日のテレビは何を見る?とまたメールした。つらいことは聞かせなかったけれど、楽しいことを分かち合えることは、うれしかった。

もう、そういうわがままな会話を許してくれる相手は、私にはない。

それがひとりということだ。

と、過ぎた日をしみじみ思い、それも悪くない、とまた、強がる。あまのじゃくのやせ我慢は、私の持つ、数少ない、愛すべき、そして誇らしい性分。

などど言ってみようかね。

火曜日の疲労

火曜日は草臥れる

月曜日は仕方なく出勤して、あれこれ迷う暇もなく、とにかく土日分の後始末に追われる

そして翌日の火曜日に、思い出したように、一気に疲れが湧き上がるせいだろう

それでも、今日は少しはましだった

一年半、尻を叩いてきた若者が、今までより、少しだけやる気を出した(ように見えた)

あなたが頑張るなら、私は手伝うと最初から言ってきたよね

明日からも頑張ってほしい

誰のためでなく、自分自身のために

 

そして、だから、私も、もう少しの間、頑張るよ

15日、月曜日

20年前の今日は、晴天で暖かだった

今年の今日は、薄曇り、そして、雨

寒くはなかったけれど

なんだか疲れたな

ひと休みしたいな

その気持ちを抑制できなかったので、1時間早く仕事を終えた

いつまでも、職務があるという確約はないのに

そこから逃げたい気持ちが募る