最後に
父が死んだと聞いたのは、入院中の父のもとへ向かう朝の江ノ電の中だった
車中で涙を流すことはなく、実家へ戻った
母が死んだと知ったのは、バイトが終わって、スマホを見たときだった
泣くことはなく、ただ、帰る場所が無くなったと知った
もし、順番通りに事が運ぶなら、
次は姉の死を知らさせる(はずと信じたい)
その日はずっと先と願うけれど、
もし、その日が来たら、その時は、泣かずにいられないだろうと思いたい
誰も私を許す人はいなくなり
誰も許しを乞う相手もいなくなる
そして、積み重ねた不孝を贖うことができなくなる
申し訳なさと不甲斐ない自分が情けなくきっと泣くだろう
姉を泣かせたくないから、頑張って、できるだけ頑張って、最後に死にたい
そして、我が家は潰える
江戸っ子のやせ我慢
私は江戸っ子ではない。
ともいえない。
母が「ひ」と「し」の区別のない発音をする人だったから。
江戸っ子ではないけど(母は江戸弁使いだった)、痩せてもいないけど、負けじ魂で、負けを認めない。
甥が話したこと。葬儀の日、その人が流したのは本当の涙だったと思う、と。
何が本当で、何が偽りか、どうやって確かめるすべがあるのかわからぬけれど、その話を聞いたとき、不覚にも涙腺が緩みそうになって、慌てて別のことを考えるように努めた。
朝起きると、おはようとメールをし、夜帰ると、ただいま、今日のテレビは何を見る?とまたメールした。つらいことは聞かせなかったけれど、楽しいことを分かち合えることは、うれしかった。
もう、そういうわがままな会話を許してくれる相手は、私にはない。
それがひとりということだ。
と、過ぎた日をしみじみ思い、それも悪くない、とまた、強がる。あまのじゃくのやせ我慢は、私の持つ、数少ない、愛すべき、そして誇らしい性分。
などど言ってみようかね。