うしろめたさ
後ろめたい気持ちになるのは、全力を尽くしていないからだろうか。
或いは、居場所を失うかもしれないという恐れのせいだろうか。
今朝、バイトに行く道すがら、今日は仕事が終わったら、帰ってまず寝よう、そして、夜、遅くない時間に目覚めたら、洗濯や諸々の作業をしよう、目が覚めなければそのまま朝まで寝よう、と考えながら出勤した。
だから、残業の要請を断った。何度も確かめられたけれど、固辞した。
けれど、帰宅して、作業をし、洗濯をし、現在に至る20時過ぎ。
まだ体力に余力があったのか、それとも早めの帰宅に安堵して、あれこれ済まそうと思ったのか、どちらにしても後ろめたさが否めない。
でも、あの時は、その時は、もう、充分疲れていたと思う。残業を受け入れるだけの、力がなかったと思う。
先刻電話があり、来週の平日遅番バイトが決まった。今日の申し訳なさで二つ返事で引き受けた。頑張ろうと思った。
そういう気持ちになったのは、後ろめたさも然りながら、早めの帰宅のおかげで、気力が少し戻ったのだと思いたい。
あてにされるということはありがたいことだ。自分が何かや誰かの役に立っていると思えるのは、やりがいの気持ちを持てる。
今日と明日、深夜ではない夕方の帰宅をし、来週もまた頑張りたい。私でもいいといってくださる職場に感謝します。一緒に労働時間をすごしてくださる仲間の皆さんに感謝します。明日もよろしくお願いします。
右石、出血せず、小康状態。直接絆創膏を貼るから痒みが出るのだろうと憶測し、肌着の方に当て布を貼ることにして様子を見ることとする。
腕と肩は、相変わらず痛み、バイト前の鎮痛剤は気休めかもしれぬけれど欠かせない。
このことをバイト先の親愛なる人へ話してしまおうかと思ったけれどやめた。もう少し、あと少し、我慢。辛抱辛抱高見山。