東 京 往 来

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11月

今年もあとふた月となった。あっという間に一年が経ってしまい、年の初めに抱いたような気がする抱負は、既に反故にしてしまったかのごとく忘れている。時間ばかりがどんどん過ぎて、それに合わせて着実に老化していく。

昼ご飯を買いに弁当屋へ行った。食券がうまく買えず大きな声で「反応しません」と言っていた若者が、事なきを得たのち、食券を手にし、私の傍を通り抜けて、店員さんに渡したあと、再度私の後ろに並ぼうとして、ひとこと声をかけてくれた。

「ごめんなさい、おばあさん」

はっとした。そうだ、おばあさんだ。この若者の目は、確かに私が老婆だと認識したのだ。何か自分が今までもやもやしていた中途半端な老化感が、客観的に一般的に証明されたような気がして、ちょっとわくわくするような堂々としていいような晴れがましい気持ちになった。

夜のバイト先で、さっそくその話をすると、皆笑ってくれた。

白髪頭のせいだろう?と反応してくれた上役もいて、そのあと作業をしながら、その話や、また別の話やらで、活気のある雰囲気で、今日の業務を終えた。

そして帰り道、日々の生活を思い、反動のように暗い気分になった。

こんな風に楽し気に時間を過ごす自分を恥じるべきだというような気持ちになった。

いつの間にか年を取ってしまい、積み重ねた時間になにも残したり貢献したりできていない自分を思い知らされて、情けなく申し訳なく恥ずかしい。

でも、結局は、変わらないだろう。もう50年以上もこうして暮らしてしまったのだから、やすやすと変わることはあり得ない。できない。きっとしない。私は最後までこうした日々を繰り返していくのだろう。必要があるかないかは別として、誰かや何かに謝罪せずにはいられぬ気分で、俯いて歩き、帰宅した。

明日が来たら、またバイトへ出かけていく。

日中、こまごまと不快なことがあったけれど、それも、誰のせいでもない、何の所為でもない、ただ私の人生のひとこまだという、それだけのことなんだ。

それなのに、今日もありがとう。やるべきことを、やることができた安堵に感謝します。