今日という日
今日は毎日あるけれど、今の今日は、今日一日だけ。
明日があると思うことが、ある意味賭けのようなものだと思う。
今日のバイトは、よかった。楽しかった。忙しくて大変だったけれど、不平を言う人はなく、助け合ってできたと思う。私が思うだけで、他の人が同じ思いだったかはわからない。
所詮自己満足だとは思う。でも、一緒にいる人への信頼がなくては、その自己満足はないとも思う。信頼というのは、自分だけが一方的に感じるものだと思いきや、実は、他者の信頼を得ている実感が前提だと思う。
直感を信じていいのだと思う。感覚というのは、証拠を出すことは難しいけれど、かなりあてになると思っている。自分が好きだと思う相手が、同じように自分を好いているかどうかはわからないというのは、謙遜と自信のなさのためだろう。でも、自分が好ましくないと思っている相手が、同じく自分にいい感情を抱いていないことは、より強く自分で認めることができる。
正直でいることがいいと思う。好かれるか、嫌われるか、どきどきしながら、加減するより、誠実でありたいと思う。自分の気持ちを正直に話して、嫌われるなら、それはそこまでの関係でよい。
信じることのできる人たちと出会えたことに、心から感謝しています。
その場を選ぶことのできた自分をほめてやろうと思います。
だから、明日も頑張ります。限られた時間と、限られた今日を、頑張って誠意をもって過ごしていきたいと思います。
今日はね。
穏やかな今日一日をありがとう。