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志村けん、大空の星となる

昼間、仕事の気晴らしにネットニュースを見る。志村けんの画像があった。よかった、ようやく退院か?と思い、よく見ると、亡くなったという報だった。

一瞬、嘘かと思った。嘘のニュースなど流れるわけはないのに、なぜだか嘘のような気がした。嘘だと思いたかったのだろう。

今まで、何県の誰某、どこ市の何某、どこかの国で何人、どこかの町で何人、罹患者や死亡者の報は多々あったけれど、顔も名前も知らぬ人ばかりで、大変なことが起こっているのはわかるけれど、自分や自分の周りの人たちは皆元気なので、どこか他人事のように聞いていた気がする。

それが、志村けんが亡くなったと聞いて、にわかにわが身のことに思えてきた。

もちろん、友達ではないし、知り合いでもないけれど、テレビで毎週あるいは、毎日のように見ていた顔の人は、相手が自分のことを全く知らぬとしても、自分が相手を知っているということだけで、まるきり無関係の人と思えないと感じた。

なぜ?どうして?持病はなかったんでしょ?と、まず疑問に思い、それから、持病うんぬんでなく、それだけ、恐れるべき病なのだと思い知った。

志村どうぶつ園では、いろいろな動物たちが、志村けんに恐れることなく抱かれていたことを見て、きっと優しい人なんだなと思ったことを思い出す。孤独だった動物が、志村けんには心を許している様子を見て、ああ、この人は痛みがわかる人なんだなと勝手に想像したことを思い出す。

70歳。私が子供のころには、70歳といえば十分老人だった。でも今は、渋沢栄一ではないけれど、60、70働き盛りと言っても、あながち空威張りでもないほど、人の寿命は延びたと思う。

それなのに。

病というものは、本当に恐ろしい。頑張っても抗えぬ力で、人の人生に覆いかぶさってくる。

志村けん。友達でも知り合いでもない、こちらだけが一方的に知っているという相手なので、敢えて敬称は略するけれど、志村けん、たくさんのおかしさをありがとう。面白さとは言わない。理由や意味を考える必要のない笑いは、面白さより、おかしさと呼びたいから。

意味や理由を考えず、思わずぷっと吹いてしまうような、そういう笑いのおかげで、暗い気持ちのスイッチを、なにか別の方向に切り替えてくれるような、そういうおかしさが私は好きだ。

これからは、コメディアンスターとしてだけでなく、大空の星となって、またぷっと吹かせてくれるんだね。おかしい映像を、たくさん流してね、テレビ局さん、よろしく。