敗北感と脱力と再生
先週末くらいから、打ちのめされている。
私は私の人生をうまくやってこられなかったと知った。
当たり前のことなのに、ひとりで生きてこられたのではないと、つくづく実感した。
目標を失い、茫然とした気持ちを、さらに鞭打つように、自分が何者でもないうえに、矢張り無力だったのだと思い知らされた。
それから、数日間、できることを探してみた。
そうして、決めた。
このままの生活を続けること。
それが、せめてもの償いで、せめてもの感謝の形骸化だ。
もういない人たちのために、まだ一緒に居てくれる人たちのために、つらくてもすべきことをして、私を知る人たち、私と親しくしてくれる人たちの恥とならぬように、努力と精進を続けよう。
シーシュポスの神話でもいいじゃない。
やらなければならぬこと、やるべきことがあることを幸いと受け止めよう。
頑張れ、アタシ。