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もういないハンサムたち

およそ半年ぶりに、「あの」嫌な痛みを今朝味わって、緊張した。

今朝は、なんだかだるく、おととい履いた時は、なんでもなかった靴が、妙にきつく感じて、歩きづらかった。

それでも、いつも通りに出勤し、電車を降りようとしたとき、いやな感じがやってきた。

胸の痛みだ。正確には、背中から始まる痛みが、徐々に上行し、前に広がり、奥歯の辺りから、首の後ろ側に到達する。胸の痛みと表現するのは、もっとも苦しい箇所が、胸だと自覚するからだ。

緊張しながらエスカレータで改札へ向かい、深呼吸気味に、ゆっくり呼吸をするように努めながら、駅から2分程度の職場へ、なんとか到着。静かにして動かないでいれば、今までは治まったので、今日もそれを実践。

やたら生あくびが出るのが、また嫌な気分を強めたけれど、椅子に腰かけて、静かにしていたら、なんとか治まった。

一安心しつつ、なぜ、また、起こってしまったのだろうと、考える。

 

ここ数日、なぜだかフレディ・マーキュリーが気になって、昨夜は、電池残量が無くなるまで、スマホで動画を見て、夜更かししてしまった。

いまさら、何故、彼のことが気になるのかわからないけれど、ひとつには、私の知っているフレディ・マーキュリーと、検索して出てくる彼の画像が、記憶と一致しないせいかと思う。

私の知っている彼は、長髪で痩身の男という印象なのだけれど、それ以外に、髭の短髪のたくましい男も画像に現れる。

始め、それが同じ人物とは信じがたかった。どちらかというと、前者のタイプはあまり好きな方ではなく、後者の方は、好ましく感じたからだ。

クイーンというバンドは、最初知ったとき、歌がとても印象的だったけれど、フレディ・マーキュリーの見た目で、あまり好きになれなかった。だから、髭のたくましい男を知ったとき、あの、やせっぽちの男と同じ人物とは、にわかには信じられず、不審に感じていた。

歌声も、何か自然のものとは思えぬ完璧さを感じ、作り物のような印象が否めなかった。

当時、中学生くらいだった、私の暮らしている場所で、欧米人と日常的に遭遇することは皆無と言っていいほどで、そのせいか、洋楽や洋画に見る欧米人は、現実の生活に存在しない別の世界の生き物のような感じがしていた。だから、クイーンの楽曲も、機械か何かで作った、不自然なもの、という感覚があったのかもしれない。

あのやせっぽちと、この男らしい人が同じ人物で、あの歌声も本物の肉声なのだと知っても、知るほどに、その隔絶感が否めない。

こないだまでは、沖雅也のことで頭がいっぱいだった。

もういない、ハンサムたち。

見た目も、することも、ほんとにアイドルだったな、と思う。

美しいことは、やはり人を魅了する。

たとえ、審美眼が、人それぞれだったとしても、ある程度の平均値と、絶対の判断基準は、無意識に人に及ぼされる。

早すぎる死。

それがまた、彼らをさらに輝かせてしまうのか。

惜しいような、余計にありがたいような。

 

沖雅也は太ることが嫌だったらしいけれど、フレディ・マーキュリーは、ふっくらしているくらいがちょうどよかったと思う。

 

帰り路も、靴は、不具合だった。

 

論旨がずれまくり♪