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手紙の時間

手紙っていいよね。

読む方に対して、思いやりがあると思う。

メールや電話は、自分の今を、相手の「今」としても踏み込んでいくけど、

手紙は、読む方が、それをいつ「今」にするか、選択の自由がある。

今読んでもいいし、後で読んでもいいし、いつ読んでもいい。あるいは、いつ読まないとしてもかまわない。読み手の自由が優先される。

メールも、ある程度は、「あとで」という選択肢は取れるけど、タイトルや表題が表示されるから、手紙ほどには猶予がない感じだ。目にしてしまうと、読まざるを得ないような、読まずには居られない気分にさせるられる。

その反面、手紙では、送り手の「今」が過去になってしまい、受け取り手が読んだ時には、すでに過去の解決済みになってしまう恐れもあるのは、避けがたい問題点。

 

それでも、手紙は思いやりのある伝達方法だと、矢張り思う。

手紙を日常的に使わないであろう若い人たちには、あまり感じないことかもしれないけれど、手紙を書くときは、後になって、そうじゃなかった、という行き違いが無いように、注意深く記すという、気配りの訓練にもなると思う。

大事なことは、本当に伝えたいことは、メールや電話でなく、手紙で伝えるのがいいなと思う。

自分の発言に、責任を持つためにも、熟慮、熟考して、一つひとつの文言をしたためる、手紙の文化が、こよなく続きますように。

 

大切なことを、大切な人に、伝えるために、後で読まれても、記した時のその気持ちが、真摯で正直であるように、手紙を書こうと思う。

読まれることを前提にせず、読まれることに期待を込めて。

そして、その気持ちが、できる限り、自分のものと同じように相手に伝わるよう、言葉を選びながら、真面目に、誠意をもって。