糾える縄は
私の人生のDNAならぬ糾える縄を生成する糸は、禍福でなく、禍禍になってしまったのかもしれないね。毎日綯うその縄は、どうしても禍だけが表になってしまう。
でも、不思議と怖くない。もう、麻痺しているのかもしれない。
あるいは待っているのかもしれない。最悪の最後を見届けることを。
望むことも特にないし、この先の展望も持てない。ただ、毎日を過ごしていこう。
ある日、何かが決定し、この縄を延ばしていくことができなくなるか、ちぎれてしまうまで。
ただ始めただけの人生。ただ終わるだけだ。なんの意味も理由も見出す必要なんてないや。
今日もバイトの時間をありがとう。感謝しています。優しい人たちの健康と幸福を祈ります。